楽しく身軽に暮らしたい with 発達凸凹家族

広島県在住のパート主婦が、発達障害を持つ凸凹家族との暮らしについて書いていきます。

うちの凸凹兄弟①

 長女の話と離れますが、ちょっと最近、色々状況が変わってきていますので、先に私の凸凹兄弟の話をしていきたいと思います。

 

 私には弟が2人います。

 

 上の弟はもう結婚して子ども3人、同じ県内に住んでいます。

 その弟も、幼稚園の頃からかなりのマイペースで、小学生になってからもマイペース+友達とつるむとかなりのやんちゃでした。

 同じようなかんじの友達が周りにいたことでそこまで問題にもならず、楽しく生活していました。

 しかし、部屋はグチャグチャで食べかけのおかしや飲みかけのジュースが何個も置いてあったり、私や母が「〜はやったの?」などと言うと「いっぺんに言われても分からん!!」と癇癪を起こして部屋にこもったりすることもありました。

 部屋の壁には混乱して殴って開けた穴も(笑)

 朝は爆音で鳴る目覚まし時計でも起きず、その音に起こされた私に叩き起こされても起きず、いつも遅刻ギリギリ、忘れ物も多い生活でした。

 当時はまだ発達障害が一般的に知られていなかったので調べたりはしていませんが、おそらくADHDの気質が強かったのだと思います。

 上の弟のよかったことは、同じようなタイプの友達が小学、中学、高専時代と、いつも周りにいたことです。

 また、中学、高専と熱中できる部活があったことも大きかったと思います。

 高専では停学や留年、家出も経験しながら楽しく過ごし、なんとか就職して、「顔が好みなんです!」と言ってくれる(笑)年上でしっかりした奥さんと結婚して、今もなかなか楽しそうです。

 

 下の弟はというと、1人年が離れており今年20歳になります。

 こちらの弟の方が大変でした。

 小学校入学前からマイペースだったのは同様ですが、小学生になってからは色々と問題を起こしたり授業でできないことが多かったりと、放課後の家庭訪問がとても多かったです。

 私の知らないところで、母への電話もさらに多かったそうです。

 友達もなかなかできず、長女同様、下の学年の子と遊んでいたりしました。

 呼ばれても自分のことだと分からず返事がないことをクラスメイトから指摘され、耳鼻科に行ったりしたこともあったようです。まぁ耳鼻科では問題はないですよね。

 そんな弟は、小5の時に母と2人で東京に引っ越しました。

 東京の小学校では、広島弁をからかわれたりして、さらに馴染めなかったようで、たびたび荒れたり沈んだりして、夜中にはだしで飛び出して行ったりしていました。

 暗い部屋で一人でカードゲームのカードを眺めたりしている様子を見て、母が心療内科に連れて行き、ASDADHD、軽度のLDの診断がつきました。

 内服治療も飲み忘れながら、なんとか高校へ入学し、ワンゲル部に入って、オンラインゲームにもハマってて、少し仲間ができて楽しかったようです。

 本人も「コミュ障だから」と自覚があり、進路は職人系で資格のとれるものを探し、義肢装具士の専門学校に入りました。

 しかし新型コロナウイルスの影響でなかなか学校へ行けず、オンライン授業なため、ほぼ家にいるようになりました。

 そんな時の誘惑はオンラインゲームですよね。

 「一日中ベッドの上でゲームをしている」と母から何度も愚痴を聞かされました。

 

つづく