楽しく身軽に暮らしたい with 発達凸凹家族

広島県在住のパート主婦が、発達障害を持つ凸凹家族との暮らしについて書いていきます。

発達障害 小学校入学前にやっておけばよかったこと

 我が家の凸凹長女は現在、普通級の小学2年生です。

 保育園年長の時にASDと診断されました。

 小学校入学前にやっておけばよかった!と思ったことについて書いていきたいと思ます。 

 

 小学校入学前にやっておけばよかった!と、私が1番思うのは「消しゴムの練習」です。

 文字を書くことは、こどもちゃれんじをしていたので大丈夫かなーと思っていたのですが、消しゴムはノーマークでした。

 

 大変だったのは宿題です。

 文字を書いても、うまく書けなかった時は消さなければいけません。

 「消しゴムで消す」と、私達から見ると一つの動作なのですが、

  ①消しゴムを手に持つ

  ②反対の手で紙を押さえる

  ③消しゴムを少しずつ動かして、狙った文字だけを消す

 という、なかなか複雑な動きなのですね。

 手を大きく動かしすぎて他の文字を消してしまう、反対の手の押さえが弱すぎて紙がぐちゃぐちゃになる、力が強すぎて紙が破れるなどなど、ハプニング続出でした。

 そのハプニングからかんしゃくを起こし、全く宿題が進まないことの多々ありました。

 また、小学1年生の宿題プリントには「ていねいにかきましょう」と書いてあるのです。

 「ていねいに」なんてふわっとした指示は難易度が高すぎます!

 がんばって書いていても「うまくいかん!」と消しはじめ、書いては消し書いては消し、、、

 私が「いいと思うよ?」といっても、「ていねいにって書いてある!!」と消し続け、消すのもうまくいかずプリントはぐちゃぐちゃの真っ黒、私もイライラして「もうやめなさい!」と怒鳴り、本人はかんしゃくを起こしの地獄絵図になることもしばしばでした。

 

 これから小学校に入学するお子さんがいらっしゃる方には、ぜひ鉛筆の持ち方だけでなく「消しゴムの練習」もされることをオススメします!

 

 

私が凸凹長女の凸凹に気づけなかった話

 凸凹長女の赤ちゃん時代に、なぜ私が凸凹に気づけなかったを書いていきたいと思います。

 その理由は、年の離れた下の弟の育児を見てきたからです。 

 

 下の弟とは15歳年が離れているため、母が育児をしていたことを私はよく覚えています。

 また、自分の子としては長女が初めての子だったため、私の中で比較する対象が弟だけでした。

 

 その弟は長女より凸凹が大きく、赤ちゃんの頃「夜の寝かしつけに2時間ドライブ」が普通の子だったため、私は長女が「寝ない」「寝かしつけが大変」ということでは凸凹に気づけませんでした。

 その後の発達についてもいつも弟が基準になってしまい、「これぐらい普通なのだろう」「みんなこんなもの」と思っていたため、長女の保育園の子達との差が大きくなるまで、私は凸凹に気づけませんでした。

 

 今思うと凸凹のサインは早くからあっただろうし、次女を先に育てていれば、長女が「何か違う」ということにも気づけたのかな?とも思います。

 「早期療育が大切」と言われる中で、早く気づいてあげられず、本人にも頑張らせてしまっていたのだなと、今になって思っています。

うちの凸凹兄弟②

 そんな下の弟が最近、鬱になってしまったようで。。。

 何が原因かは分かりませんが、おそらく発達障害の二次障害でしょうね。

 母も体調から働き方を変えなくてはいけなくなり、2人で広島に戻ってくることになりそうです。

 弟がせっかく入った専門学校を辞めるのは勿体無いと思いますが、合わないものは仕方ない。

 合うところをゆっくり探してもらいましょう。

 

 母もそろそろいい歳なので、定職について安心させてあげて欲しいし、母だけだと経済的にも大変だろうというのが悩みどころです。

 そして、そんな姿を見ていると、うちの子の将来は大丈夫なのか?と心配にもなってきます。

 心配していたら、その通りになってしまう!と聞くので、悪いことは考えないようにしましょう!

 

 とにかく2人の部屋探し!がんばります!

 いい部屋が見つかりますように☆

 

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 下の弟が小学生の頃に作ってくれたアイロンビーズ

 色の使い方がすごいなーと思っていましたが、弟は細かい色の違いもイマイチ分からないようです。

 でもかわいいのでお気に入りで、ずっと飾ってます。

 

うちの凸凹兄弟①

 長女の話と離れますが、ちょっと最近、色々状況が変わってきていますので、先に私の凸凹兄弟の話をしていきたいと思います。

 

 私には弟が2人います。

 

 上の弟はもう結婚して子ども3人、同じ県内に住んでいます。

 その弟も、幼稚園の頃からかなりのマイペースで、小学生になってからもマイペース+友達とつるむとかなりのやんちゃでした。

 同じようなかんじの友達が周りにいたことでそこまで問題にもならず、楽しく生活していました。

 しかし、部屋はグチャグチャで食べかけのおかしや飲みかけのジュースが何個も置いてあったり、私や母が「〜はやったの?」などと言うと「いっぺんに言われても分からん!!」と癇癪を起こして部屋にこもったりすることもありました。

 部屋の壁には混乱して殴って開けた穴も(笑)

 朝は爆音で鳴る目覚まし時計でも起きず、その音に起こされた私に叩き起こされても起きず、いつも遅刻ギリギリ、忘れ物も多い生活でした。

 当時はまだ発達障害が一般的に知られていなかったので調べたりはしていませんが、おそらくADHDの気質が強かったのだと思います。

 上の弟のよかったことは、同じようなタイプの友達が小学、中学、高専時代と、いつも周りにいたことです。

 また、中学、高専と熱中できる部活があったことも大きかったと思います。

 高専では停学や留年、家出も経験しながら楽しく過ごし、なんとか就職して、「顔が好みなんです!」と言ってくれる(笑)年上でしっかりした奥さんと結婚して、今もなかなか楽しそうです。

 

 下の弟はというと、1人年が離れており今年20歳になります。

 こちらの弟の方が大変でした。

 小学校入学前からマイペースだったのは同様ですが、小学生になってからは色々と問題を起こしたり授業でできないことが多かったりと、放課後の家庭訪問がとても多かったです。

 私の知らないところで、母への電話もさらに多かったそうです。

 友達もなかなかできず、長女同様、下の学年の子と遊んでいたりしました。

 呼ばれても自分のことだと分からず返事がないことをクラスメイトから指摘され、耳鼻科に行ったりしたこともあったようです。まぁ耳鼻科では問題はないですよね。

 そんな弟は、小5の時に母と2人で東京に引っ越しました。

 東京の小学校では、広島弁をからかわれたりして、さらに馴染めなかったようで、たびたび荒れたり沈んだりして、夜中にはだしで飛び出して行ったりしていました。

 暗い部屋で一人でカードゲームのカードを眺めたりしている様子を見て、母が心療内科に連れて行き、ASDADHD、軽度のLDの診断がつきました。

 内服治療も飲み忘れながら、なんとか高校へ入学し、ワンゲル部に入って、オンラインゲームにもハマってて、少し仲間ができて楽しかったようです。

 本人も「コミュ障だから」と自覚があり、進路は職人系で資格のとれるものを探し、義肢装具士の専門学校に入りました。

 しかし新型コロナウイルスの影響でなかなか学校へ行けず、オンライン授業なため、ほぼ家にいるようになりました。

 そんな時の誘惑はオンラインゲームですよね。

 「一日中ベッドの上でゲームをしている」と母から何度も愚痴を聞かされました。

 

つづく

凸凹長女の子育て⑧~年長4~

 療育センターを予約して一安心、とは思いましたが、受診までの間も長女との毎朝のバトルや癇癪は続きました。

 毎日長女のことを叱って、時には感情的に大きな声を出してしまうこともあり、私自身も自己嫌悪の日々でした。

 

 そんな日が続き、長女は夜中に泣き叫んで起きたり、暴れたりすることが出てきました。

 朝になると忘れているようでしたが、こちらはビックリして飛び起きるし、落ち着かせようとしても声も届いていないのかなかなかおさまらない。暗い中で暴れるので怪我も心配。。。

 一緒に次女が起きないかもドキドキでした。

 日中のストレスからだったのかなーと思います。

 

 次回、「凸凹長女の子育て」は、療育センター受診のことから書いていこうと思います。

 

 

 

凸凹長女の子育て⑦~年長3~

 

 職場へ少し早く行き、先輩に相談すると、「それはそろそろ本人もしんどいかもね。この前は言わなかったけど、友達で発達障害のある子がいる子がいるんよ。その子も朝の準備ができなくて、声かけてもだめだから、物を投げて気づかせることもあるって言ってたよ。療育センターとか知ってる?なかなか予約がとれなくて、見てもらえるまでに時間かかったりするらしいから、一年生になる前に考えてみたら?」と助言をいただきました。

 また、ご兄弟に保育師さんがいるそうで、「9月からは小学校入学にむけて、保育園も療育センターを紹介したりし始めるらしいから、もっと混むみたいだよ!」と教えてもらいました。

 その時は5月半ばだったかと思います。

 すぐに療育センターを調べて電話し、6月下旬に初診予約をとることができました。

 

 保育園の先生へも療育センターを受診することをお伝えしました。

 長女は保育園でマイペースながら活動にも参加できているし、癇癪を起こすのも家の中だけだったため、先生には困り事が見えておらず、「え?」という反応でした。

 

 「見た目も普通だし、がんばればある程度普通に見えるように生活できる。

 でも、本当は本人も家族も困っていて、自分ではどうしたらいいか分からない。」

 

 発達障害の難しいところだと思います。

 私も、「こんなに分かってもらえないなら、もっと見た目ではっきり分かるぐらいおかしい子だったらよかったのに。」と考えてしまったこともありました。

 

 つづく

 

 

 

 

凸凹長女の子育て⑥~年長2~

 年長になっても、お迎えに行くと長女はお砂場で遊んだりムシ探しをしていました。

 同じクラスのお友達と一緒にいることもありましたが、下の学年のお友達といることの方が多かったです。

 

 小さい子に優しいのはいいことだなと思い、ほほえましく見ていました。

 ある日長女に、「下のクラスの子とも仲が良くていいね」と言うと、「同じクラスのことは遊べんのんよ。。。」と発言がありました。

 「え?楽しそうに遊んでいるように見えるけど?」と言うと、「本当は○○ちゃんと○○ちゃんと遊ぶ約束してたのに、遊べんかったんよ。」と。

 楽しそうに見えていましたが、本人にとっては不本意だったようです。

 「また明日あそべるといいね!」と最初は言っていましたが、その日から、ちょこちょこ「誰とも遊べんかった」「○○ちゃんと遊んでたのに、どっか行ったけん一人で遊んだ」などと言うようになり、こちらまで切なくなってしまいました。

 

 担任の先生に相談すると、「クラスでの活動は仲良くやっているように見えます。外遊びの時には、みんなで遊ぶ遊びにも誘ってみますね。」と言われました。

 しかし、それからもあまり状況は変わっていないように見えました。

 そんな時、長女が「今日は○○ちゃんと遊ぶ約束して、最初は一緒にお砂してたのに、○○君達が来てボールに呼ばれて行っちゃった。お砂する約束だったから、ずっとお砂せんといけんかったのに!」と言ったことがありました。

 「一緒にボールはしたくなかったん?」と聞くと、「お砂って言ったんだからお砂だけなんよ!」と、こだわりから、切り替えができていないことが分かりました。

 

 また、その頃から癇癪もひどくなっていました。

 「パジャマがうまくたためない!」

 「ぬりえではみ出した!」

 など、自分でやっていることがうまくいかないのが原因なことが多かったです。

 「それでいいと思うよ」と声をかけても、

 「違う!こうじゃないといけんのんよ!」と、こだわりが強く、聞き入れられません。

 30〜1時間位泣き叫び続けていました。

 寝転がって足をバタバタし、足の裏側にたくさん出血斑ができてしまったこともありました。

 声をかけると私のことや壁をバンバン叩いたりすることもありました。

 

 つづく